河村光陽
「かもめの水兵さん」や「うれしいひなまつり」など数々の名曲を残した童謡作曲家。
河村光陽(本名・直則)は、明治30 年8 月23日、福智下宮神社に隣接する生家で産声を上げました。神社に奉納される神楽の音色が、彼のメロディーやリズム感、音楽家としての原点になっています。
光陽は、小倉師範学校を卒業後、音楽教師として金田小学校(福智町)に赴任。やがて音楽家としての夢をあきらめず、パリやモスクワでの音楽研究を視野に朝鮮へ渡りましたが、社会情勢の悪化で帰国後、上京し、東京音楽学校選科(現東京芸大)で、日本を代表する音楽家から音楽理論等を学びました。
のちに「かもめの水兵さん」「うれしいひなまつり」「グッドバイ」「赤い帽子白い帽子」「仲よし小道」「船頭さん」「りんごのひとりごと」など千余曲を作曲。故郷の情景を思い浮かべた作曲も多く残されています。
主な楽曲は長女・順子の歌唱でレコード発表され、数々のヒットを記録。日本童謡史に一時代を築きました。
昭和21年12月24日、49 歳でこの世を去った河村光陽。子どもたちの息づかいや遊びのリズムを大切にしたその旋律は、いつまでも色あせることなく、今もなお歌い継がれています。
教師時代の河村光陽(左)と河村家父子の貴重な写真。長女・順子は声楽、次女・陽子はピアノ、三女・博子はバイオリンの英才教育を受けてきた三姉妹。それぞれの楽器等も写っているのが確認できます。
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