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 古刹「興国寺」
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古刹に宿る伝説と守られた寺宝興国寺開山、無穏元晦の志よみがえった千手観音

 
古刹に宿る伝説と守られた寺宝

●南北朝のロマンに想いを馳せる

興国寺の境内に立つと、ここだけが南北朝時代の雰囲気を残したまま時を止めているかのようです。福智山の裾野と調和する姿は、美しさと強さを兼ね備えています。かつては、細く延びた上り坂の参道が、ここに至る唯一の道でした。鐘楼(しょうろう)は見張り台、山門前の石垣が外濠、境内の池は内濠の役目。三方を山に囲まれ、城郭の配置がなされています。
  室町幕府初代将軍・足利尊氏と弟の直義は、国家安泰の祈願と戦死者供養のため、全国66か国に安国寺を設置。その安国寺に、興国寺をいち早く指定しました。その「随一」として所領も寄進。興国寺文書の足利直義寄進状は、安国寺に関する全国で最も古い資料とされ、諸国に先立つ安国寺としての寺位をうかがわせます。全国にある安国寺の多くは交通の要衝地にあり、幕府の前進的な拠点として軍略上の一面が強いものでした。豊前安国寺に指定された興国寺もまた、その面影を色濃く残しています。
  尊氏にまつわる言い伝えは枚挙にいとまがない興国寺。京都占領をめぐる戦に敗走し、九州へ落ち延びた尊氏の伝説が残されています。その一つが「墨染の桜」です。ここで再起を図った尊氏は、つぼみのついた桜の枝を切り、逆さに地中に挿して今後の戦運を占ったと伝えられています。
  「今宵一夜に咲かば咲け 咲かずば咲くな 世も墨染の桜かな」。
  そして、桜は一夜にして咲き、勝利を確信した尊氏は、勝ち戦を収めながら京へ東上。征夷大将軍となり室町幕府を開いた… というロマンに満ちた伝説です。
  尊氏が再度奮起し、覇者となった出発点とも言えるこのエピソードは、多くの人の心を打ちました。興国寺文書には細川幽斎、小笠原忠真の詠歌が残されています。歴代藩主が拝した「墨染の桜」です。

威風堂々という言葉がふさわしい本堂。
福智町(旧赤池町)出身の童謡作曲家河村光陽は、この寺を思い浮かべ「山寺」を作曲したと言われている。

 
                     

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