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 童謡作曲家「河村光陽」
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河村童謡を育んだ生地上野いつまでも色あせない旋律かもめの水兵さんうれしいひなまつり

 
  福智町は童謡作曲家・河村光陽の生誕地です。彼が残した数々の名曲は、半世紀以上たった今でも色あせることはありません。光陽が残した大きな足跡とその精神は、このふるさと福智の地で、脈々と受け継がれています。童謡が口から口へ伝わっていくように、童謡や音楽の町づくりの想いが、心から心へ伝わっていくことを願って取り組まれています。

●河村童謡を育んだ生地上野

河村光陽(本名・直則)は、明治30年8月23日、豊かな自然にはぐくまれた福智町上野(当時上野村)で産声を上げました。雄大な福智山を背景に清らかな流れをたたえる福智川、周囲に田園風景が広がるのどかな環境で育ちます。
  こんもりとした丘の上にある福智下宮神社、その隣に光陽の生家がありました。当時は、秋にお神楽が奉納され、たいへんにぎやかだったと言います。光陽の生家は広い屋敷だったので、お神楽のメンバーが宿泊していました。光陽はその演奏に聞き惚れ、メンバーから喜んで尺八を習いました。それが彼のメロディーやリズム感、音楽家の原点になっています。
  地主だった父を早く亡くした光陽は、母ヒデノの希望で小倉師範学校に進学。そこで作曲家・藤井清水に出会い、野口雨情らのコンサートに参加するなど強い影響を受けます。卒業後の大正七年、音楽教師として隣町の金田小学校に赴任。しかし光陽の胸には断ちがたい目標がありました。「シベリア鉄道でモスクワへ行きロシア国民楽派の音楽を学ぼう。できればヨーロッパにも足を延ばしたい…」。
  大正9年、光陽は音楽家としての将来を託し、単身で朝鮮に渡ります。公立師範学校に勤めた後、国境近くの学校に転勤。そこは豆満江を隔て、対岸にロシアの灯りが見える場所でした。
  しかしそのころ、幸か不幸か、日本人が陸路シベリア経由でモスクワへ行ける情勢ではなくなりました。光陽はモスクワ行きを断念しソウルの学校に移ります。
  光陽がもし、シベリア鉄道に乗っていたら… 国民学派の音楽に刺激され、管弦楽曲への道をまっしぐらに進んだかも知れません。立ちはだかった時代の壁が運命の分岐点となり、後に光陽を童謡の世界へと導いて行きます。
  ソウルでは八波武治に作曲法とヴァイオリン奏法を学んでいました。そこへ母ヒデノが「1人息子がこのまま帰らないのでは」と迎えに来ます。光陽は、東京に出ることを母に約束し日本に戻りました。
  大正13年、山田耕筰らによって日本初のシンフォニーオーケストラ「新交響楽団」が結成され、光陽はヴァイオリン奏者に応じようと上京します。しかし募集は終わっていました。光陽は奏者をあきらめ、学習研究のため東京音楽学校選科(現東京芸大)に入学します。そこで音楽理論を学び、卒業後も2年間、中田章(和声)、榊原直(ピアノ)、藤井清水(作曲)、大沼哲(管弦楽法)らの自宅で個人指導を受け、本格的基礎を学習。その間長女順子、次女陽子が生まれますが、就職はせず学習専念の4年間を過ごしました。
  「別テーブルで読書をしながらの食事でした」と妻・都根美は語っています。
  3女博子が誕生した昭和4年、光陽は東京の竹早小学校に教師として復職。すでに昭和3年から自宅でヴァイオリンと歌を教えはじめていた光陽は、NHK出演やコロンビアレコードの吹き込みなどで多忙になります。光陽の童謡作曲が始まったのはそのころでした。
  光陽は子どもの実生活をうたった武内俊子やサトウハチローらと出会い、美しい詩を日本旋律にのせていきます。
  光陽が童謡を作曲するうえで最も大切にしていたのが、子どもたちの息づかいや遊びのリズムでした。彼は著書にこう記しています。
「子どもの世界を知らぬ人には本当の童謡は作り得ない」と…。

インタビュー 河村光陽(かわむらこうよう)
童謡作曲家。
明治30年8月23日、上野村(現福智町)に生まれる。
かもめの水兵さん、うれしいひなまつり、グッドバイ、赤い帽子白い帽子、仲よし小道、りんごのひとりごとなど千余曲を作曲。日本童謡史に一時代を築く。
昭和21年12月24日、胃潰瘍発作で急逝、享年49。

福智下宮神社参道入り口で、元気な童謡にあわせて乾布摩擦に励む上野保育園児。右側に広がる田んぼに河村光陽の生家があった。「あのころ村で絹物をきていたのは河村さんの家だけだった」というほど、代々地主を勤める裕福な家庭に生まれた。上野の豊かな自然と神社から聞こえてくるお神楽の音色が光陽作曲の原点になっている。
河村光陽生家の隣、福智下宮神社境内の鳥居のそばに建つ。昭和60年、河村光陽生誕90年を記念して建てられた。このとき「ふるさと赤池町の童謡集」として、故郷を歌った9曲とみんなが知っている8曲を収録したカセットテープを作成。長女の故・河村順子さんが監修した。


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